2050食生活未来研究会

クロストーク第9回は、田中浩子の大学院時代の指導教授であった立命館大学名誉教授三浦一郎先生をお招きして、ゆとりある働き方と2050年の食生活、社会のあり方について、お話しいただきました。

対談写真

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世界を広げた大学院での学び

  • 田中

    三浦先生との出会いは、2003年。私が在籍していた大学院のゼミの指導教授でした。当時、私は管理栄養士のマネジメントの会社を経営していまして、管理栄養士の職域を広げ、もっと活躍できる舞台を創りたいと思っていました。もっと言うと、管理栄養士のあり方自体を変えたい。「そういうことを研究したいなら、日本のドラッカーであり、ドラッカー研究の第一人者である三浦先生のゼミに入ったらいいのでは?」とアドバイザーの先生に言われたんです。大学院の学友たちは、いろんな教授の話を伺って、指導教授を決めていましたが、私は、もうそのアドバイスで、迷うことなく三浦先生に決めました。でも、経営のこと、ほとんど勉強していなかったので、三浦先生との初めての面談の時に、「どんな本を読んでますか?」って聞かれても、「ほとんど読んでないんです」って感じで。あれから、16年経って、先生がびわこくさつキャンパスにおられたときの研究室と同じ棟でまさか研究室を持つことになるなんて!夢にも思っていませんでした。

  • 三浦

    つきあいが長くなりましたね。

  • 田中

    ドラッカーを本格的に読むようになったのは、先生のゼミに入れていただいてから。この出会いがなければ、ドラッカーを読むことはなかっただろうと思っています。ゼミの輪読でドラッカーの『マネジメント』を毎回読み進めていきました。最初は、全然わからなかったですね。文字を追っかけることはできるけど、理解することが難しい。『マネジメント』の中に「知識や技能を低利用のままにしておくのは、当人だけでなく社会までも貧しくすることになる」という一文があり、私の心にすごく響いた。そこからドラッカーを深く読むようになって、世界が広がった、次元が変わったと思っています。

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レシピは知識である

  • 田中

    ゼミ生の頃に先生のお宅にお邪魔して、先生の手料理をいただいたこともありました。先生、料理を趣味にしてはるんですよね?

  • 三浦

    大学で務めていた役職が終わって、1年間の内地留学が与えられたのをきっかけに料理をするようになりましたね。うちは、共働きです。私が休みでも、奥さんは働きに行っているわけですよ。それなら、時間に余裕のある方が食事を作ろうかってことになりました。ちょうど50歳の時でした。それまで料理やったことはなかったんですけどね。自分好みの味付けもできるし。レシピを見れば、どのような配合で、どんな手順でやればいいかは書いてありますからね。やってみると、そんな難しいことではない。レシピは知識なんですよ。昔は、母から娘へ、という感じで伝えるものでしたけど、現在ではレシピがありますから、誰でもできるわけです。最初は、ちょっと味が辛かったりして、奥さんからの評判が悪いものも多かったんですけど、やってるうちにそれなりになってきた。奥さんも「おいしい」と褒めてくれるから、気分良くなってきましたね。

  • 田中

    そうなのですね!

  • 三浦

    『知識労働と食』が今回のテーマですが、私が料理を始めたきっかけについて話したなかに、知識と働き方の問題が既に出てきたでしょう。働き方にゆとりがないと料理なんかできないわけです。うちの奥さんは、とにかく仕事人間で、仕事が好きで、家に帰っても仕事に関わる勉強をしている。放っといたら仕事ばっかりやっている。こちらが相当奇妙な料理を作っても食べてましたね。

  • 田中

    レシピはどこで手に入れたんですか?

  • 三浦

    本で知ることが多かったですね。本屋に行けば、料理本がたくさんおいてあります。ある程度の都市では大体の食材は手に入りますので、とりあえず本に書いてある通りにやってみました。料理が趣味のひとつになってきたという感じですかね。30代の頃は植木とクラシック音楽が趣味で、ロンドン留学時代は、毎日のようにオペラハウスやコンサートホールに行ってましたね。相当クレジットカードを活用しました(笑)。50歳になって、晩ごはんを作るという現実的な趣味になってきました。

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人材が集まらない外食産業

  • 田中

    私は、ドラッカーを研究の基礎にしながら、先生のもとで外食産業について学びました。日本フードサービス協会提供の協定科目があって、すかいらーくの横川さんほか日本の外食産業の経営者、名だたる方々のお話を生で聞けて大変勉強になりました。外食・中食産業について研究していますが、このときの学びが基礎になってます。

  • 三浦

    流通産業が戦後、1950年代後半から発展して、それを後追いする形で、外食産業が出てきますね。今まではシェフ、料理人が担っていた部分を産業化していったわけです。基本的にはチェーンオペレーションで、経営手法に非常に似たところがあります。その中でも、すかいらーくは代表的ですね。

  • 田中

    食品スーパーマーケットも外食産業も発展過程にはいろいろな段階がありますが、外食産業自体の売上高のピークは1997年。そこからだんだん落ちてきた。私が院生だった頃は、これからの外食産業はどうしていったらいいんだろうという時期。挨拶やサービスなどが全部標準化された無味乾燥な接客になって、結構批判も出ていた頃です。でも、あの価格帯で料理を出そうとすると、産業化してないと絶対にできない部分もあった。私は外食・中食産業をテーマにした博士論文を書いたのですが、その中で「接客を担当するスタッフは、単に料理を運んでいるだけではなく、企業のマーケティングの最前線として、お客様と接している。本社にいるマーケティング部に加えて、各店舗にいるスタッフがお客様の求めているものを全部吸い上げて、それを自分たちが提供するサービスやメニューに取り入れることが外食産業の発展の条件ではないか」と述べました。ドラッカーが提唱する知識労働についても触れたのですが、ドラッカーが「知識労働」と言い始めたのは、いつぐらいなんでしょう?

  • 三浦

    「知識労働」という言葉は1950年代終わり頃から登場します。1960年代の終わりに出版した『断絶の時代』の中でも、かなり本格的に議論を展開しています。

  • 田中

    労働の質が変わってきてる、と?

  • 三浦

    アメリカでは、第二次世界大戦後、大卒者が急速に増えて、同じ年代の人間の3分の1ぐらいを占めるという時代に変わっていった。大卒者というのは肉体労働ができないんですよ、大雑把に言うと。結局、知識労働者として自分の仕事を展開していくしかないような存在なんですね。

  • 田中

    そのような背景だったのですね。日本も大学卒業者が増えてきましたが…。

  • 三浦

    日本の場合は、割とゆっくりと(中国などと比較して)知識労働者が増えていった。日本の大学生たちは、学生時代に外食産業やコンビニでアルバイトすることが多いですね。大学生のアルバイトで外食産業がもってるんです。ところが、就職をする時には、その業界には行かないわけだ。その業界のことをそれなりにアルバイトで知っていて、まともな就職先だとは誰も考えてないってことですよ。田中さんが院生時代に聞いた経営者たちも、もっと外食産業は発展できるんだけど、きちんと採用ができているのかとか、人的な制約条件が発展を左右するとか、しきりに言っていましたね。

  • 田中

    担い手不足ってことですね。優秀な人材が業界に入れば、もっともっと…。

  • 三浦

    優秀というか、普通の人がもっとたくさん入ってくれば、もっともっと発展しうる業界なのに、それが発展しない。それは人的資源の制約条件によるものだという議論が多かったから、ものすごく印象的でした。統計だけ見ると産業が発展している、落ち込んでくる、産業が行き詰まったというふうに思うんだけど、そう単純なものではない。条件さえあえばもっと発展しうるのに、という議論を大方の人がやっていたかな。発展の見込みがあるのなら、労働条件を良くした方がいい人は集まると思うんですけどね。

  • 田中

    実際に、出店場所はあるのに、「調理や接客を担当するスタッフがいない」、「店長がいないので店が出せません」、という話をよく聞きます。それが今の外食産業の実態。おそらく小売業も同じ構造だと思うんです。コンビニでアルバイトを経験しても、流通業には就職しないという状況で人材が集まりにくい。どこもそんな感じですね。

  • 三浦

    コンビニの24時間問題もそこ。基本的に人が集まらないんです。

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コンビニが強い理由

  • 田中

    コンビニは、小売業の中ではすごく研ぎ澄まされた業態です。一店舗に欲しいものがすべて詰まっている。

  • 三浦

    まあ、そうですね。70年代中頃にコンビニが登場した時は誰もこんなふうになるとは思えませんでした。その頃はダイエーも頑張っていたし、イトーヨーカドーはまだまだ発展途上で、総合スーパーがこのまま伸びるだろうと思ってたわけです。それが何十年か経ってみると、結果的に総合スーパーはいつ存在を止めるかという存在になってしまっている。既にあるから止められないだけの話で。90年代以降の日本の流通を代表する業態といったらコンビニになってしまいました。

  • 田中

    昔のよろず屋とあまり変わらないですけど、背後にあるシステムがすごい。

  • 三浦

    チェーンオペレーションで効率性を高めるということと、管理のレベル。セブン-イレブンを創業した鈴木敏文さんの進めた策が非常に優れていました。徹底した単品管理で、日商約65万円を1店舗で売り上げる。そういう生産性の高い小売店を作った。フランチャイズ店のオーナーたちの多くは、それまで小売業とは無縁の人たちですよ。最近、あれこれと問題を指摘されていますけれども、私は個人的には同情する気持ちが起きないのね。だって、素人が会社を中途退職して、コンビニのオーナーになった途端に、小さい店舗なのに、日商約65万円、年間で2億3、4千万円ぐらいの売上高の店を経営する、ですよ。私は、非常に評価できる内容だと思ってます。

  • 田中

    先生はコンビニ使われますか?

  • 三浦

    行きます。すぐそばにローソンがあるんで。

  • 田中

    先生のお宅の周辺には百貨店もあって、買うところはいろいろあるんですけれど、やっぱり身近なところっていうのは強いんですね。

  • 三浦

    我が家のごく近くに(数10m先)店ができると、やはり便利だから、使ってみる気になります。

  • 田中

    2013年にコンビニコーヒーが一気に広がりました。日本ではコーヒーを飲むことができる場として、元々「喫茶店」という業態があって、それからスターバックスのようなシアトル系コーヒーと呼ばれるものも出てきた。さらに自動販売機の缶コーヒーもある。これでコーヒー市場はほぼ飽和してしまったかなというところに、セルフ方式で淹れるコーヒーマシンが登場した。コンビニでも持ち帰りコーヒーはずっと前から何度も改良しながら販売していましたが、それほど大きな売り上げにはならなかった。それが、あっという間にセブン-イレブンだけで300億円も売り上げた。こんなに大きい市場ができるとは誰も思ってなかったですよね。ある程度のクオリティと価格はもちろんあると思うんですけど、やっぱりコンビニの距離、手軽さがヒットに結び付いたんでしょうか?

  • 三浦

    コンビニが、ある程度の内容の商品を作るというのは当たり前だからね。コンビニの商品開発に独創性なんか全然ないですよ。むしろコンビニで何かをやろうとする場合、真似のマーケティングで新製品を追加するわけです。世間で評判のいい程度の商品は、内容的にも価格的にも作れます。そうしたら、多くの消費者は近くのコンビニで買うでしょう。だから、コンビニの商品開発は、確実な成功を期待できるものですね。成功するかどうかわからない、なんていうものではない。これをやれば、よほどのことがない限り成功すると思ってやるわけです。コーヒーもそうですよ。で、予定どおり成功するわけ。予定どおり成功するんだけど、成功は持続しなくてはならないから、そこで微妙な変化を、差別化を入れながら、飽きがこないように工夫をして商品を構成していくわけね。だから、コンビニエンスストアは非常に優れた仕組みだなと思って、いつも褒めているんですけどね。

  • 田中

    なるほど。

  • 三浦

    ただ、一人向けのPB商品は味が濃いですね。だから、リピートしようという気が起こらないというのが現状です。家で作った方がおいしいと思えるようなものの方が多いね。まぁ、コンビニのPB開発にはまだ努力の余地があるかな。

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みんなで働くことが、ゆとりのある暮らしを生む

  • 田中

    このシリーズでは、2050年の食生活をずっと考えています。一人分のお惣菜の話を先生もされましたけれど、これからの日本は少子化問題もあって、単身世帯がすごく多くなってきます。家族がいたら、食事を作るけど、一人暮らしになったら料理するのか?ここから家庭食、日常食が変わる、と考えているんです。

  • 三浦

    家で作った方がおいしいからね。家族がいるというような、作る条件がある限り、多分家で作ると思うんですね。

  • 田中

    平成30年間で、食卓の上の風景って実はあんまり変わってないんです。けれども、食材の仕入れ先は変化しています。昭和の頃は、市場に行って、自分で料理して…が一般的でしたが、平成に入って中食が増えてきた。食卓の風景は同じでも、その後ろのシステムが変わってきたと思うのですが、今後、どうなるんでしょう?

  • 三浦

    どうなるかな。生活にゆとりがあって、しかも生産性の高い働き方になれば、食事は家で作るんじゃないかな。ゆとりがないとダメだと思う。弱り切って家に帰ってきたら、ごはん作るどころの騒ぎじゃないもの。

  • 田中

    ぐったりすると、無理ですね。

  • 三浦

    うちの奥さんに喜ばれたのは、外から帰ってきて家でぐったりしていたら食い物が目の前に出てくる、という状況だったわけでね。これからの日本が、男女共働きで、なおかつ、ゆとりのある働き方を実現できるような状況になっていけば、家でごはんを作るでしょう。そうならないと、日本の未来はないと思いますけど。だけど、ゆとりのある働き方や暮らし方が実現した日本の未来が実現したとしたら、そこでは、食べるものは作った方がいい、作る方が楽しくておいしい、という文化がもっと定着するんじゃないか、と思います。過去30年、過去50年ぐらいを振り返っても、日本人の食べるものは、ある時期から本当に変わってないと思う。

  • 田中

    昭和40年代半ば、戦後の経済発展の中で豊かな社会になった頃ですよね。

  • 三浦

    豊かな社会になった段階で、日本の食卓の風景は多分確立した。そして、そのパターンが継続するだろうと思います。それがどう提供されるか、が変化する。

  • 田中

    そうですね。長い間、ごはんと味噌汁とお漬物と一品ぐらいという食生活だったのが、昭和40年代半ばから家庭の料理の中に和食以外の食、中国料理や洋食が入ってきた。それからあんまり変わらないですもんね。

  • 三浦

    食べるものは変わらないけど、作ることがもっと増えていってほしい。そこは、ゆとりのある働き方がちゃんと実現されるかどうかにかかってくると思います。

  • 田中

    ゆとりのある働き方は、やっぱり共働きですか?

  • 三浦

    それはそうでしょう。ゆとりの前提は、お金のことを気にせず生活できる、ということだよね。今日のおかずで5円節約しようという、そんな発想だったら、ゆとりなんか問題外だからね。5円や10円、100円といった細かいことは気にせずにものを買える、という条件が必要。だからって、金持ちではないですよ。ごく普通のゆとりある生活ができるような所得レベルがあって、時間にもゆとりがある。普通の生活をするためにこき使われて、ゆとりがない生活をやるなんていうことでは、全然話にならないですね。

  • 田中

    つい先日、女子の就業率が3千万人を超えた、というニュースもあったように、やっぱり働くようになってきているんですね。農業や漁業のような一次産業が主流だった時代は、家族みんなで働いていたのに、高度経済成長時代に専業主婦というものが出てきて外で働かなくなったけど、再び外で働くようになっている。時代の流れですね。

  • 三浦

    高度経済成長過程の中で出てきた専業主婦なる存在はね、やっぱりおかしな存在ですよ。基本的に男も女もみんな大学出ているし、成績なんか子どもの頃から女の子の方が良い。でも結婚して子どもができると、仕事の面から落ちていってしまう。そんなパターンを日本は作ったけど、こんなパターンは全然話にならないね。

  • 田中

    みんな働いて、みんなで豊かな生活を、ってことですね。

  • 三浦

    普通の生活をできるかどうか。細かいこと気にせずに生活ができるというレベルでいいということですけどね。公務員や大学の教員といった、一応労働条件がきちんと定まっているような状況での共働きであれば、ごく普通の生活は実現しているわけです。別にお金持ちでもなんでもない。ごく普通の単なるサラリーマン×2の生活です。ところが普通の企業では、ごく普通の賃金を獲得するためにギリギリの仕事をするという状況が、この30年間で起きてきた。これは、日本がよっぽど貧しい社会になってきたんだと思います。

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未来の買い物はどうなるのか?

  • 田中

    ドラッカーは、世界中に中流層が増えていくと言っていました。

  • 三浦

    それはアメリカの50年代をイメージしている。アメリカの50年代、60年代までは、中流が増えていく社会だったんです。でも、アメリカ社会に上も下も出てきた。日本も、1980年代ぐらいから、中流をターゲットにした総合スーパーがダメになってきましたね。まあ、ダメだと言われ続けながらも、それなりに生き残っていますが。

  • 田中

    総合スーパー。今、イオンとイトーヨーカドーが2大勢力ですが…。

  • 三浦

    総合スーパーはダメでしょう。食品スーパーマーケットは、これは生き残る業態ですね。食品以外も扱う、というのが総合スーパーですが、食品以外の部分が全部ダメ。だから、この業態はハッキリ言ってダメでしょう。

  • 田中

    どんどん減っていきますか?

  • 三浦

    その店しかないような地域もあります。まともな商店街がないし、ありとあらゆるものが揃っているショッピングセンターがこの地域にはあれしかない、という意味で生き残っている。業態としての将来性は考えにくいですね。

  • 田中

    食品スーパーが町の一番店みたいになってくるんですかね。

  • 三浦

    人間は食わなくてはならないから、食品スーパー、あるいはコンビニ、食品を扱う商業施設だけは生き残りますね。

  • 田中

    自分の生活動線内にないとダメですよね。特に高齢者が増えてくると、徒歩5分ぐらいの場所に欲しいですよね?

  • 三浦

    徒歩5分ぐらいでしょうね。大都市部なら、徒歩5分内にコンビニはいくらでもあります。問題は田舎です。だから、2050年の食生活を考える場合、その時の人口構造、地域構成がどうなっているかを見なくてはいけないね。小学校区で、1店舗では広すぎますよ。私の故郷は、丹後半島の網野ですけど、そこでも小学校がどんどん統廃合されていて、校区が広がっているんですよ。地方はそういう現象になっています。だから小学校区に商業施設を設置していくというぐらいでは間に合わない。

  • 田中

    どんなパターンが一番便利なんでしょうか?インターネットを使える世代が増えていきますが。

  • 三浦

    今から30年って、私が100歳。当然死んでますけれども。

  • 田中

    いやいや、先生、生きてはる。(笑)

  • 三浦

    年寄りでもインターネットは使えますから、通販で買うことは考えられますね。自家用車が利用できなくなったとしたら、少なくとも近所の商業施設というのは、多分非常にまばらにしかないから、買い物へのアクセスが難しくなっているでしょうね。大都市に住んでいるならいいですけど、日本全体で眺めたら、そんなの例外的な存在です。

  • 田中

    移動販売がもっと増えるんでしょうか。

  • 三浦

    そういうような形の、いろんなタイプが出てくるんだろうな。

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流通は大きな変化の時期

  • 田中

    業態がここからどう変わるのだろうかってところが、流通論の面白いところ。この令和の時代で、さらに変化がありそうな気がします。

  • 三浦

    現在、コンビニの総数は5万数千店。日本全体にほとんど網の目のように行き渡っているはずなのだけれども、田舎では、町にひとつしかないようなところが出てくるわけね。そこをどうするのか。企業だけで解決できない問題になってくると思います。

  • 田中

    行政がもっと絡んでくるんですかね?

  • 三浦

    ひとつの商店を成り立たすためには、どれくらいの商圏を設定するか、どのくらいの商圏人口があるか、といった条件をベースに考えるけど、田舎では基本的な条件の程度が低くなってくるわけね。そうなってくると、何かそれをサポートするやり方がないと。都市部の商圏を想定している企業の論理ではやれないでしょう。

  • 田中

    人がいなくなったら出店しないですもんね。流通業は流通業で、行政は行政で、住民は住民だけで、動くというのがこれまでのやり方。でも、今までみたいに出店する時に住民説明会を行なうという話ではうまくいかなくなっています。最初からいっしょに作っていかなきゃいけないんじゃないかと思います。

  • 三浦

    北海道のセイコーマートなどの例もあります。過疎地でコンビニの経営を成り立たせるにはどうしたらいいか、ということについては、一定の経験が蓄積されているから、そういう事例を踏まえた上で、どう具体化できるのか。

  • 田中

    コンビニ自体も、あり方が変わってくる。

  • 三浦

    そうですね。コンビニがベースになると思いますが。そこに何をプラスすれば全体をカバーできるようになるのか。

  • 田中

    生活に必要なものを、ってことですね。コンビニが成長する過程で、銀行のATMを設置しました、チケットが買えるようになりました、宅配便を送ることができるようになりました、受け取ることもできるようになりました…など多彩なサービスが登場してきましたが、次なる何が出てくるのでしょうか?

  • 三浦

    やっぱりコンビニに、宅配をセットすることになるだろうな。個々の家庭、個人のところまで届く仕組み、しかも安上がりにそれができる仕組みをどう実現できるか。

  • 田中

    外食産業も食品スーパーもそうですけど、流通業も担い手不足。今は時間指定で荷物が届きますけど、そこを維持できるかできないか、は大きいですよね。アメリカでは、宅配ボックスみたいなものが設置されていて、そこに取りに行くそうです。日本でも、だんだんそうなってくるんでしょうか。

  • 三浦

    宅配ボックスの付いているマンションもあるけど、利用頻度が高いところでは、すぐにいっぱいになってしまう、という問題がありますね。

  • 田中

    一戸建てで各家庭に宅配ボックスつけるのも難しい。まあ、つけた方が便利かもしれないけど、地域に一ヶ所あるといいですよね。

  • 三浦

    いろいろな工夫が出てくるでしょうね。個人宅への再配達は避けられないから、むしろ再配達は当たり前として、合理的に無駄なくやることを考えた方がいい。日本の宅配の便利なシステムがどう変わっていくのか。

  • 田中

    海外は再配達料を取るところありますよね。再配達料がかかるようになってくると、食料品アクセスにも影響あります。最近は、水など重いものを頼むと加算料金が発生しています。通信販売で水をずっと頼んでいたんですが、スーパーで買った際との価格差に愕然としました。宅配は、運搬料込みの値段なんですよね。

  • 三浦

    まあ、サービスがあるということが重要なんじゃないですか?コストのことを考えて、買いに行くか宅配にするかは、消費者の選択。むしろ、そういう基本的なサービスがあるかどうかが重要。

  • 田中

    そうですね、大事なところです。

  • 三浦

    高齢になるとか一人で出歩くことができないような状況になってきた時に、そういう基本的なサービスがあるかどうかですね。コストがかかるのは仕方ないですよ。

  • 田中

    そうですね。今、東京ではUber Eats、昔でいう店屋物とか、外食の配達がすごく流行ってるんです。あれもまた流行ってくるのかなと思ってます。

  • 三浦

    十分に納得できるだけの品質であればね。昔も今も、そうやって新しいビジネスやサービスが出てくるのは同じですよ。

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高齢一人暮らしが食生活の変わり目

  • 三浦

    2050年は超高齢化社会。90代の人が一人暮らし、というのが増えるでしょうね。80代ぐらいまでは元気で、家で食事も作って、あれこれ楽しんでいるような人たちの方が多いんじゃないかと思う。個人的に考えると、我が家も二人とも元気で暮らしている間は、多分今のパターンが続くと思います。家で作りながら、外食はたまに利用するぐらい。でも、どこかでそれが終わりますよね。終わった時に、果たして一人になっても家で作るのか、それとも一人用の何かを買ってくるのか。そうなった時にどうなるかな、って感じはありますね。

  • 田中

    そうですよね。一人になった時ですよね、問題は。

  • 三浦

    ちょっと話は脱線しますけど、この前、テレビ見ていたら、老人ホームに入ってからの高齢者の生活を紹介していました。賄い付きの老人ホームに入ると、自分で何も作らない。待ってて、出てきたものを食べるだけ。あれ、何かバカな話だ、と思いませんか?たいていの女性の場合、一生の間ずっと、ほとんど食べるものを作って生きてきたわけですが、それが老人ホームに入ったら出てきたものを食べるだけ。こんなのボケる原因ですね。

  • 田中

    そうなんですよ!料理を作ることは、脳にいいんです。※1

  • 三浦

    年取って体が動かなくなったから出てきたごはんを食べるのか、それともそれまでの家庭生活において、食事を作るという家事が苦痛だったんではないか。賄い付きの老人ホームで出てきたものを食べているというのは、どういうことなのか。夫婦二人で老人ホームにいるのだったら、やっぱり作りたいんじゃないかな、と私は思う。ごはんを作って家族で食べるというのは、私は楽しいと思いますが、それが楽しくなかった人たちが結構多いんかなと思ったりもします。

  • 田中

    なるほど。

  • 三浦

    老人ホームで、全部あてがいのものを食べて、おいしくないとか言っているわけです。何言ってんのや、という感じ。

  • 田中

    高齢者だけの生活は不都合もあるので、他人の目が届くという点で施設に入るのがいいのかなとも思いますけど…。先ほど、認知症の話が出ましたけど、数品目作って、夜6時に全部出来上がっている状態にするというのは、すごく難しいんですよね。料理によってスタート時間は違うから、段取りを考えなくちゃいけない。お皿にどう盛り付けるか、後片付けはどうすればスムーズにできるか、もやらなくてはいけない。これら一連の作業が、脳を活性化させるそうです。やっておくと、認知症が進まないとも言われる。危ないから、家事、特にごはんを作ることを取り上げてしまうと、認知が進むとも言われています。

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食は楽しいというカルチャーを作る

  • 三浦

    2050年の食生活に向けては、家族でごはんを食べる、あるいは、作って食べるのが楽しい、というカルチャーをもっときちんと作れるか、だと思う。家族がいなくても、共同住宅みたいなものであれば、それなりの共同生活をしている人たちがいるわけで、一緒に食事するような場を作ることも、誰かが食事を作ることもできるでしょう。

  • 田中

    学生とのワークショップでも、共と書いて“共食”という言葉が出てきたんです。若い子たちも、みんなで食べたい、作って食べたい、そういう思いはあるんですよ。その仕組みを積極的に私たちが考えて、街のリビングみたいなところを設けて、行政も入りながら地域コミュニティを作っていくというのが大事なところなんですかね。

  • 三浦

    家族がいたら家族でやっていることだけども、家族がいずれいなくなって、一人暮らしになっていく。一人暮らしになった時も、一種の、家族に代わるコミュニティがあるってことかな。それが、2050年の食に関わって来るんじゃないかな。もう何十年も前、1970年代に聞いた話だけど、親と子がそれぞれバラバラのものを食べている知り合いがいました。食べるものも違うし、食べる時間も違う。やる気になれば当然一緒にできたはずですが、家族のそれぞれがワガママを言って、家族がバラバラに食っているわけ。それから40年近く経って、ゼミの学生に食事の摂り方を聞いてみたけど、家族と一緒に同じものを食べているという学生が多くて、安心しました。家族がいる場合、一緒に同じものを食べるというパターンはそんなに変わらないと思います。ただ、ある時から単身生活になります。たとえば田舎出身であれば、大学生活を送るため街に出てくるとそこで単身者になるし、年を取っても、単身世帯にいずれなる。単身世帯をどう共同のものに変えていくのかということには、社会的な仕掛けがいるんじゃないですか。

  • 田中

    そこですね、ポイントは。住民個々で集まって一緒に作りましょう、と動くのは難しい。

  • 三浦

    そういうコミュニティは、意識的に作らないと。コミュニティに参加してみたら便利だ、となればいい。今日はAさんが作ったけど、次回は俺が作ってみよう、とか。たいてい評判が悪いけど、たまに案外いいんじゃない、と言ってもらえると嬉しい、とかね。そういうような場がいっぱいできたり、世の中ってそういうもんだとなってくると、一人暮らしもそんなに悪くない、という感じになる可能性がありますね。

  • 田中

    そうですよね、みんなで食べるところっていうか。

  • 三浦

    食は、基本的に、家族単位です。たいてい、少子高齢化の中、家族2人か3人で食べている。やる気になれば、別に年を取ってからのコミュニティでなくて、もっと早くから、社会的に、何かある種の組織化、運動を作っていくということは可能かもしれませんね。

  • 田中

    過去になかったような、新たな形態を作っていくっていう感じですかね。

  • 三浦

    シェアハウスみたいなところや共同のキッチンを持っているところでは、多分やりやすいでしょうね。シェアハウスのような場がなくても、もっと意識的に一緒に何かをやるというのを作っていくのは可能なんじゃないかな。

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最後に残ることは、食べること

  • 三浦

    ただそういうコミュニティ作りの前提として、ちょっとゆとりが要るんですよ。

  • 田中

    そうですね。

  • 三浦

    「この1時間が重要だ」なんていう細かい生活をしていると、できないでしょう。

  • 田中

    そうですよね。時間にも余裕があるし、食にお金をかけてもいいっていうところがないとダメですね。お金を持っていても、食にお金や時間をかけるかかけないかは、大きな分かれ道だと思います。みんなでゆっくり楽しくっていうところにかけていくっていうことに価値を感じられるか。

  • 三浦

    主婦向けの雑誌かなんかで、「家計簿診断」ってありますね。あれ見ていると、食費にかける金額が少ない。家族で月3万円の食費って人が多い。

  • 田中

    1日約千円。

  • 三浦

    若い時はそれでいいのかもしれない。食べること自体が目的ではないからね。でも、ある程度高齢化してくると仕事がなくなる。あとは何のために生きているかっていうと、趣味があるか、食べるかです。食べるというのはどんな人にも当てはまることで、趣味も仕事も全部なくなっても、食べるということについてだけは残るわけです。だから年を取れば取るほど、健康であれば食べることに対するこだわりは強まっていくはずです。まだ食は残るというところを、やっぱり大切にしたいですね。だから、老人ホームを紹介するテレビ番組を見ていても、楽しそうな情景は食べものがおいしそうなところです。

  • 田中

    やっぱり食、大事ですよね。

  • 三浦

    とにかく食べることよりも仕事が大事とか、食べることに1時間かけるんだったら、15分で何かをかき込んで、あとは仕事のための何かをした方がいいなんていう段階は、それでいいかもしれない。しかし、そんなのどこかで終わりますからね。それだけ時間を節約してやらなくてはならない仕事というのは、おそらく生産性が低いのだと思う。

  • 田中

    日本の生産性の低さっていうのは、よく指摘されます。どう改善していったらいいんだろう…、課題がいっぱいありますね。

  • 三浦

    生産性の問題は、頑張ればいいという問題ではないんです。ゆとりを生み出しながらも生産性を上げて、それなりの収入を獲得できるか、が、日本にとって非常に重要な問題です。そういう働き方を前提として、ゆとりのある生活の下でいろんなことが楽しみになっていくわけね。単なる苦痛、単なる消耗ではなくてね。そういうふうになったときに、個人が作る側で楽しむ、あるいは作って食べるという食生活にしていこう、という話をしてきたわけですが、それだけではなくて、食材を提供する企業がどのようなプロダクトを提供できるのかも大事ですよ。時代とともに食べてはいけないものや食べるべきもの、という知識はどんどん進んでいきます。たとえば、油にしても、体に良い油、あまり良くない油がわかってきた。何十年か前であれば、とにかく油の取り過ぎは良くない、という議論だったと思うわけね。そういうような食を巡る知識の状況は変わってくるので、特に専門的な知識を提供する側、ビジネス側のやることはいっぱいあるんじゃないか、と思います。

  • 田中

    そうですね。

  • 三浦

    僕は単純に言えば、良いレシピを出すことだと思います。レシピの中には、食べてもいい食材や、いろんなものが当然含まれているでしょう。食べてもいいというだけではなくて、コスト的に無難であるか。安い、おいしい、作るのが簡単というようなポイントはいくつかあると思います。これらから、企業の役割と食を研究する人間の役割が、ある程度定義できるかなと思います。

  • 田中

    私が最近研究しているのが、令和の時代の食べ方。先生のお話を伺って、単に材料をこうしたらできますよ、ではなく、コストなども含めて食べていいレシピを出していく必要性に気づきました。みんなで社会的な仕組みを作っていくことも大事ですね。今日の話で、たくさん論点をいただいて、2050年の食生活がよりクリアに見えてきました。ありがとうございました。

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三浦一郎

三浦 一郎

  • 立命館大学経営学部特別任用教授。
    1975年京都大学経済学部経済学科卒業。
    1980年京都大学大学院経済学研究科 博士課程 満期退学。
    ドラッカー学会、日本流通学会、日本商業学会、日本経営学会に所属。現代企業を素材として、イノベーションとマーケティングの視点から、その流通経営の特徴を解明することを研究テーマとしている。

  • ライター:宮前 晶子
    カメラマン:田口 剛