2050食生活未来研究会

2050みらいごはん通信 Vol.2

2050みらいごはん通信 Vol.2

自ら考え、学び、行動する、
2050みらいごはんのビジョン

2050食生活未来研究会(2050みらいごはん)では、より豊かな未来をめざすため、さまざまな分野の専門家と交流してきました。研究ユニットリーダー田中浩子亡き後もその挑戦は続いています。今回、食や空間、暮らし、また人々の進歩について、生前の田中と語り合ってきた名古屋学芸大学メディア造形学部デザイン学科准教授 山本あつしさんが登場。田中の遺志を継ぐ夫・田中勝久と、2050みらいごはんのこれからを展望します。

― 2人プロフィール ―

  • 田中 勝久

    京都大学大学院工学研究科 教授。京都大学工学部工業化学科卒業、同大学大学院工学研究科修士課程工業化学専攻修了。工学博士。専門は固体化学、無機化学。妻・田中浩子の遺志を引き継ぎ、2050食生活未来研究会(2050みらいごはん)を再始動。

  • 山本あつし

    名古屋学芸大学メディア造形学部デザイン学科准教授。1971年大阪生まれ。システムエンジニア、建築設計・施工の仕事を経て、2011年に企画事務所を立ち上げる。領域を問わず、幅広く企画・プロデュースを手がけ、2013年からは大阪芸術大学、奈良県立大学などで講師を務め、2023年から現職。

田中浩子が掲げた2050みらいごはんを
どう繋ぐか?

田 中
今回のゲストは、家内の田中浩子によるクロストークの初回と最終回にご登場いただいた山本先生。食や2050みらいごはんについて、あらためてお話できる機会を本当にうれしく思っています。山本先生は芸術に関わる分野で多岐にわたる活動をされていまして、私の専門は化学や工学。全然文化が違います。お互い、食を専門分野にもしていません。さて、今日はどんな話になるのやらと思っています。クロストークを読んで痛切に感じたのは、家内が生前、2050みらいごはんで何をしようとしていたのかを、私自身がわかっていなかったんだということ。それが残念で、後悔というか、若干やるせない気持ちになりました。それで、家内が志していたものを引き継いで形にしたいなと。そういうわけで、家内と対談された山本先生にいろいろお伺いします。
山 本
はい。よろしくお願いします。
田 中
家内が亡くなって2年半、遺したことをいろいろな方のご協力のもとで形にし続けています。形を引き継ぐということでいえば、立命館大学の先生方にご尽力いただき開設した田中浩子文庫。学生さんが自由に討論したり、勉強したりするスペースに本棚を作っていただいて、家内が研究室においていた書物を集めて文庫を作りました。2050みらいごはんもその一つと思っております。ところが、これをどう進めていくか、僕の中では全然ビジョンがなくて…。専門家の皆さんの得意分野を活かして、ベクトルをどちらに向けて進んでいけばいいのかな?と考えています。今日いちばん伺いたいのは、2050みらいごはんのあり方、そして、その中で僕はどう寄与できるかという点。山本先生はどうお考えですか?
山 本
自分自身の話から入りますが、僕は2つの大学を卒業しています。最初の大学では社会学を学び、卒業後はタイヤメーカーで物流管理システムを作っていました。そのサラリーマン時代に阪神淡路大震災がありまして、それをきっかけに建築関係の家業を継ぐことになったんです。でも建築のことを何も知らないわけで、働きながら建築学科に通いました。それが2つめの大学です。卒業後は、設計、施工など建築関係の仕事を手掛けましたが、リーマンショックを機に、いろんなことの企画やプロデュースをジャンル関係なくやっていこうと事務所を起ち上げたのが2011年。
田 中
あぁ、2011年ですか。
山 本
ええ。事務所立ち上げの翌月に東日本大震災が発生しました。その後、地方創生が叫ばれるようになったこともあり、地域の力をいかに未来につなげていくかが、国あるいは世界のテーマになっていったんですよね。そんな状況下で、コミュニティづくりや現在の専門の研究分野である共有空間のデザインに至りました。自分自身の道のりを振り返ると、てんでばらばらな気もします。でも、スティーブ・ジョブズが「コネクティング・ドッツ」なんて言ってますけど、後で振り返ってみると、それらの点はつながっていることに気づくんですね。社会学的な視点と建築の知識を組み合わせて、今があるという感じなんです。
田 中
なるほど、なるほど。
山 本
「空間でデザインする」と一口に言っても、インテリアや建物だけでなく、あらゆるもの、例えば人やその営みまで含まれる。となると、食も必ず入ってくるわけです。無関係じゃないんですよね。2050みらいごはんで考えると、田中浩子先生は、食という専門性を持ちながらも食のフィールドだけではなくて、いろんな分野に行こうとされていました。異分野の人たちとつながったり、いろんな活動を生み出したりして、これからの食生活や環境をより良く整えていこうと考えていらっしゃったんだと思います。

みんなで考えて、みんなで良くしていく社会を

山 本
浩子先生と2050みらいごはんの対談を最初に行ったのは2019年。当時は違う大学に勤めていて、1年生のデザイン演習でいつも最初に「10年後のあなたはどこで何をしていますか?」と問いかけていたのですが、対談の冒頭で浩子先生にも同じ質問をさせていただいたんです。「10年後はどこで何をしていますか?」と。その問いに、浩子先生は「私は30年後の2050年から来ました。その時、世界では人口が100億人突破しています。日本の人口は9500万人。私は85歳になって、自分で自分の料理を作っています。食材が歩いて行ける範囲で手に入る、あるいはネットで購入できます。介護施設や病院に入ったとしても、食を楽しめる暮らしができます。そんな2050年からやってきました」と答えられました。これこそが、2050みらいごはんのビジョンなのだなと感じたんです。食事や食材を得る環境を、今よりももっと満足できるものに変えていくこと。あるいは、社会保障の面から見ても、食をめぐるサービスを、高齢者を含めたみんなが受けられる。そういう充実した社会にしていきたいとおっしゃっていました。
田 中
そんなことを話していたんですね。うちは、夫婦がお互いに好きなことをしていたので、家内がこういう構想を持っていたこと、僕は恥ずかしながら知らなかったんです。2050みらいごはんを家内がいつ言い出したのかも全然知らない。 家内は大学の時に食物学を学んで栄養という観点から食に携わっており、管理栄養士でもありました。その後、大学院でマネジメントを学んで、ドクターとって、食をマーケティングという観点から考えていたのだろうなというのはよくわかるんですよね。ただ、食って、時代とともにいろいろ変わることもあるでしょう。計画的な観点だけでコントロールするのはなかなか難しいところもあると思うんですよね。栄養学的なこともあるだろうし、健康の話や医学にも関係するだろうし。ライフスタイルが変わる中で、人間生活において絶対に必要な食や食産業がどう変わっていくか、そこにどう対応していけば面白いのかを、マネジメントの視点から捉えていたのかなとは思うんですけれどもね。
山 本
私見ですが、食の分野の専門家だけがわあわあ言ってても状況は変わらないだろうと浩子先生は感じていたんじゃないでしょうか。みんなで考えて、みんなで良くしていく。目標を具体的に定めるというよりも、状況が変わっていく長い期間の中で、みんなで考えていくような場づくりをしていきたいと考えていたのではないでしょうか。
田 中
それが2050みらいごはんというプロジェクトになるわけですね。2050年という設定は象徴的なもので、家内自身、自分が85歳になったときの状況がどうなっているか、それを見据えてどうすべきか。ゴールは簡単に設定できるものではないことはわかっている、時代とともに変わりながら、皆さんで良い方向に持っていきたい、食を通じてもっと豊かな生活を送りましょうというところに持っていきたい、そんな風に考えていた。そういう話になるんですかね?
山 本
そうですね。例えば、社会に役立つサービスや商品づくりに市民が主体的に参加する「リビングラボ」という場づくりが、日本国内でもだんだん広がっています。行政や研究機関、あるいは大学が運営主体となることが多いのですが、2050みらいごはんのリビングラボができてもいいですね。
田 中
山本先生の中に、具体的な構想はあります?
山 本
「リビングラボ」もそうですが、まちづくりの文脈の中で、みんなでいろんな話ができる機会づくりをすることが必要ですね。
田 中
クロストーク内で、家内もまちづくりについて話しています。実際に草津市と連携するプランもありました。2050みらいごはんに参画している皆さんが得意な分野で活動して地域のまちづくりに貢献する、それも2050みらいごはんの一つのあり方になるのかな?
山 本
そうですね。2050みらいごはんのあり方って二つあるんじゃないかと考えています。一つは食をテーマにして、いろんな立場の人が入り混じって、いろいろお話をしたり、実際に料理をつくったりする形。もう一つは食じゃなくてもいいと思うんですよね。例えば、勝久先生がホストになって、ご研究されているナノアンテナ(電波をコントロールするアンテナを、光に対応できるように微細化したもの)について、市民を交えて学ぶような機会をつくるといったような。でも人間って時間がたつと、お腹が空いてくるでしょう。そこで「お腹すいたし、みんなでごはん食べようか」でもいいのかなと思うんですね。ナノアンテナがテーマの回であれば、それに関わるような食事を作ってみるなど、楽しみながら場づくりをする。トップダウンでやるよりも、みんなが声を上げられるような場づくりをしていく仕組みができるといいのかなと思いますね。

科学と食は対極のようで深い関係がある

田 中
そういう意味では、いろんなテーマが転がっているでしょうね。科学と食って、関係することがいっぱいあると思うんですよ。僕の専門とはちょっと違いますが、農学部などに設けられている食品工学は関係しますよね。
山 本
先生の専門は?
田 中
僕の専門分野は固体化学。「気体」、「液体」、「固体」の固体ですね。化学の分野で僕が扱う固体は無機物。でも、食べるものは有機物。人間の体も有機物です。タンパク質などもそうですね。
山 本
なるほど、それと食とは対極にあるように見えます。
田 中
そうでしょう、食と全然馴染みないと捉えられがちです。ところがですよ、食べものは固体が多いですよね。液体もあるんだけど気体はない。それから、食と関係するところでいえば、食器の原料となるセラミックスも固体化学と関係があります。食べものを口に入れた時の感覚や味って物理的な感覚です。つまり、科学の一つの分野となるんですよ。体内でタンパク質が消化されるのも全部化学反応でしょう! 突き詰めていったら、いろいろサイエンスと関係してくる。当然人間が生きていること自体がサイエンスと関係がある、衣食住すべてにおいてね。山本先生は芸術の分野で活動されていますが、建物一つとっても力学など科学と関わってくるでしょう?
山 本
そうですね、関係していると思います。食に関しては、食べるということを科学的に捉える体験ができると面白いかも。
田 中
食べるって意識してないですもんね。歯が食べものを砕いて、分解されて、健康にも繋がっていく。口の中で酵素が働いているところから始まるわけです。
山 本
食感や味、香りなど普段無意識に受け入れていることを書きとめていきながら、食が人の体の仕組みとどのようにつながっているのかを考えてみると、すごく面白いでしょうね。
田 中
僕は最近知ったんですが、野菜って最初に食べる方が余計な糖の吸収が減るんですよね。それを聞いた時に、フレンチのコース料理が野菜から出てくるのは、そこまで考えて生まれたのかはわからないんだけど、すごい理にかなっているなぁと。はるか昔、人間が地球上に誕生してから何かしら食べて生きていくなかで、かなり昔からの知恵が活かされているところはあるんじゃないかなと思ったんですよね。
山 本
あるでしょうね。
田 中
例えば、江戸時代、平安時代、もっと前でもいいんですけど、その時代に人々が食べていたものの調理法も科学ですよね。そういうことを調べてみたら面白いんじゃないかな。時間ができたら調べたいなって気持ち、ありますよ。それに、食事では、夏に涼しく食べるためにガラスの器を使うなど、飾りつけや器も重視されるでしょう。そういう意味で、食や芸術はすごく関わっているなと感じているので、その辺も深めたいですね。
山 本
みんなでやってみると楽しいかもしれないですね。自分の感覚にフォーカスして、それをじっくり味わってみる。ただ食べるだけじゃなくて、食べる行為というものに注目して、自分のことを知る。それによって他者を知る、あるいは自然のことを知る。興味関心が、どんどんと広がっていきそうですね。
田 中
自然を知るっていうことにはなるでしょうね。

2050年のキッチンはどうなる?

山 本
ふと思ったのですが、実験しながら食べるっていいかもしれない。「食べラボ」なんてネーミング、いかがでしょう?        
田 中
それは面白いかもしれません。最近の調理器具にはトランジスタなどの電子デバイスを使っていますが、そこはまさしく僕の研究と関係するところです。コンロをカチッとひねったら火花が出るのは、ある物質では力を加えたら物質の中にある電荷のプラスとマイナスがパッと分かれるからなんです。調理にも、私が扱う固体化学は関係しているんですよね。        
山 本
化学を専門とする立場から見ると、2050年の電子レンジって、どうなるんですかね?        
田 中
2050年の電子レンジはもっと軽くなります、おそらくね。電子レンジはトランジスタを使っていない唯一の調理家電らしいんですよ、僕はあんまり詳しくないんだけど。電子レンジには真空管が使われていて、それで重いんです。そういうのを置き換えようという研究に企業は取り組んでいます。2050年ぐらいにはいいのができるんじゃないかな。
山 本
2050年のキッチンはどうなっているんですかね?
田 中
キッチン、どうなるんだろう? 調理する側としたら、これ以上何が必要でしょう?
山 本
要素としては加熱機器、洗い場と調理場があれば、成り立つんでしょうね。あと、食材を貯蔵する場所も必要ですね。方向性は二つあるように思うんです。一つはコスパやタイパの追求。もう一つはつくる楽しみの追求。つくる楽しみを感じるためには、ある程度不便さがある方がいいような気もします。そう考えると、かまどが復活するかもしれない…なんて思ったりします。
田 中
釜で炊くご飯がいい、って聞きますよね。
山 本
釜で炊く炊飯器、家電量販店にも置いていますよね。どんどん新しいものが出てくる中で、そういう昔ながらのものも出てくる。食をつくる空間や食を楽しむ空間も、新しいもの、古いものが混在している未来かもしれない。
田 中
火加減を調節しながらつくるのも楽しいのかもしれない。ただ、火を使うのは危険も伴います。火事になることがあるから、オール電化も増えてきていますよね。それはそれでわかるんですけどね。
山 本
自動車の世界もそうなっているように感じます。全部電気自動車になるかと思いきや、そうでもない。いろんなものがあるという方向にシフトして、非常に面白いなと思うんですよね。
田 中
食べることに関していうと、楽しいがいちばん大事。パッと便利なものが出てきて、それを食べてっていうだけではないような気もしていて。使わない調理器具は、消えていくでしょうけどね。
 

常に消費者の立場でいいのか?

山 本
先ほど、食べることで自分を知り、他者を知る、ひいては自然を知るという話が出ましたが、実際、自然には逆らえないところがあると思うんですよね。でも、そういう事実を気にせずに生きているのが今の我々です。学生はやたらと「コスパ」「タイパ」って言うでしょう。そんなにお金や時間を節約してどうすんの?って思うんですけれども、そこにあるはずの意味を問わず、ただどんどんと効率良くできることが生きがいになっていくという…。ちょっと恐ろしい状況になっているんですよね。        
田 中
それ、思います。僕は無駄な事でも絶対役に立つと思ってる。失敗することは絶対重要だと思うんですよ。そうしないと成功につながらない。でも、山本先生のおっしゃる通りで、若い人たちに限ったことじゃなく、最小限の努力で最大の成果を得たいというような考え方が広まっています。回り道しているのは無駄だと思っちゃうんでしょうね。そうじゃないよなって思うんですけどね。        
山 本
常に消費者であろうとするような姿勢なんじゃないかな、と。        
田 中
なるほどね。最近、特に顕著なんですが、進学校から入ってくる連中ってのは受験勉強そのままで大学に入学します。1年生や2年生はそこから抜け切れていなくて、授業後の質問も「元素記号、どこまで覚えたらいいですか」というようなものなんですね。試験に対してここまで覚えて点数取って単位取ろうというのが彼らの考えで、僕からしたら、それはちょっと違うやろうと。ほんまに面白いと思ったら全部覚えるやろう、そんな受け身じゃいかんやろって。先ほどおっしゃった消費者の立場なんですよ。すべては与えられるもので、自分で考えなくても向こうから降りてくると考えていますね。
山 本
そういう考えの人が社会に出て、「もっと市民サービスを充実させろ!」と主張するんじゃないかな。この「市民サービス」という言葉自体が間違っていると思うんですけれども。会社にぶら下がったり、行政にぶら下がったり、社会にぶら下がったり、そういう人ばかり増えていったらどうなるんでしょうか。浩子先生が思い描いていた2050年の世界とは違うところに行き着きそうで。だから、自らが主体であることの実感を取り戻していく、そういう機会をつくっていけるといいですね。食はみんなに共通していることなので、一つの大きなきっかけになる気がします。
田 中
僕も、そこが非常に大事だと思いますね。いろんな分野において受け身ではだめ。自分で考えて、まず行動しようと。
山 本
震災などの災害があった時にこそそれを問われる、というのは、東日本大震災以降、私たちが身をもって感じてきたことです。例えばライフラインが切断されたときに、どうやって飲み水を確保するのか、どうやって火を起こすのか、どう調理をして、食べて、安全に寝る場所やプライバシーも確保していくのか。そういう状況の中でも、より人間らしく生きていくことが問われていると思うんですよね。お客さんだけになっていると、危険ですよねぇ。
田 中
そうそう、自分から動いていかないと。そういう状況になったら、まずいことになってしまいます。
山 本
何よりも面白くないと思うんですよ、100%消費者って。何も作り出さないで、ただ使うだけ、消費しているだけではね。おっしゃる通り、「元素記号をどこまで覚えればいいんですか?」じゃなくて。面白くて気づいたら全部覚えていたというのが本来の姿だと思います。いろんなことを機械がやってくれるようになって、サービスが発達して、お客さんになっているばかりではね。人生100年時代といわれますが、私たちに残されているのは死ぬことだけって話になってしまいます。
 

対面とオンライン、それぞれの良さに気づけたコロナ禍

田 中
家内と山本先生の2021年のクロストークはコロナ禍での対談でした。対面とオンラインについて、アマゾンの話などが繰り広げられていまして、AIがやることや人間がやることも話題に上がっていました。これはマーケティングに結びつくのかもしれないですけれども、全体的に食を文化として考える時、機械がやること、人間がやることをうまくやっていかないとなかなか先が見えないと思うんですよね。        
山 本
あの当時よりも2024年は、AIがより現実的に生活の中に入ってきています。実は今回、シラバスをChatGPTを使ってつくってみたんです。        
田 中
つくられてみて、どうですか?
山 本
全部任せるのは無理ですけど、こういうのどう?って聞くと、とても「あたりまえ」な答えを返してくれるんですね。自分が知っていることや理解していることを手掛かりに授業をつくるので、自分では「あたりまえ」と思っていることも学生にとってはあたりまえでなかったりすることってありませんか? そこをAIが補ってくれるので、「なるほど」と思いながら内容をチューニングしていきました。今後はあらゆる仕事で、AIとのこういったやり取りが増えていくのかもしれないと感じました。AIとどう付き合っていくか、それをどう投立てていくか。パターン化された答えは正確かつスピーディにAIが出してくれます。「プロンプト・エンジニアリング」という言葉を最近よく聞きますが、私たちはどのような問いを立てていくのか、「問う力」を磨く必要があります。別の言い方をするならば、問題から課題を抽出し、自分が思い描くビジョンを言語化して伝えていくこと。そうしたスキルが「生きる力」に直結してくる。そこにつながるような話をその最後のクロストークでした記憶があります。
田 中
あの時は本当に特殊な状況だったので、そこからどのように世の中が変わっていくかを家内も考えていたと思うんですよね。コロナはもちろんまだ流行ってるんだけれど、対面が戻ってきました。大学の講義もそうですよね。
山 本
対面、戻っていますね。
田 中
家内や山本先生は講義の評判がすごくよろしいと思うんですよ。僕は、講義の評判よろしくないです。余計なことをしゃべっていることも多いんですけど…。対面とオンラインそれぞれの良さはあって、うまく活かせたらいいんだと思うんですね。講義だけじゃなくて、いろいろなことにおいて。直接しゃべるって非常に大事だと思いますしね。
山 本
対面にオンラインが加わって、コミュニケーションの幅が広がったと浩子先生はおっしゃっていました。
田 中
それは一つの考えですね。
山 本
そう。コロナ以降、使える道具がどんどん増えている印象はあります。
田 中
だからオンラインはオンラインの良さがあるんです。その場に行かなくても、たくさんの人が同時に集える。東京で会議があるけど、京都で大学の講義があるから移動するのは難しい…そんな場合でも、京都からオンラインで繋がることができる。合理性は出てきています。でも、それだけでもだめというところでしょうね。特に食事は厳しい。オンライン飲み会、一時期流行って、僕も何回か参加しましたが、まあ、あれ、面白くないですよ。やっぱりその場にいないとね。
山 本
参加者全員に同じ料理が送られてきて一緒に食べるというような、「同じ空間にいる実感」を演出する工夫もありましたが…。
田 中
自分でお酒やらも準備して、ブレイクアウトルームというところに集まって、何人かで喋るとか。できるだけ実際に近づけようとしてやっているのかもしれないですけど、やっぱりそれは違ったという認識なんでしょう。最近は普通に立食パーティーが復活しましたから。
山 本
やはり、対面でいろんなことをやることのありがたさがわかったんでしょうね。一方で会議など、オンラインでいいのでは?というものはオンラインに切り替わったものもあります。そういう意味では効率的になった。手段を使い分けて、対面にするのか、オンラインにするのかと精査するなかで、「そもそもこの会議って何のためにやるんだっけ?」と言いやすくなった気がします。あたりまえに行ってきたことについても、きちんと意識付けができるようになってきたんじゃないでしょうか。
田 中
うちの大学はどの会議も「90分で終わりましょう」と上の方は言ってますが、それがなかなか守られてないようなところもあって…。もうちょっと時間をうまく使えばいいんだろうなと思っているんですけど。
 

コロナ禍を経て変化した、食を囲むということ

田 中
食に関してはみんな集まってやりたいですよね。スペースをつくる話とか、皆さんが100%お客さんじゃなくて、積極的に参加して何かがあるっていうのは対面だからこそ生まれるものでしょう。        
山 本
少し前まで奈良の商店街でカフェをやっていまして、それがきっかけで商店街組合の活動に関わることになり、通りの坂道を使った全長80mの流しそうめんイベントの企画に関わりました。毎年夏に開催していたのですが、小さな商店街に一日2,000人近い人たちが集まる一大イベントになったんです。コロナでできなくなっちゃったんですけどね。コロナが収束したタイミングで復活できるかなあと思っていましたが、別の地域の流しそうめんイベントで食中毒が発生し、ニュースになってしまいました。そういうのがどんどんどんどん難しくなっていくのかな?と考えさせられましたね。衛生面に気をつけようと言われても非常に難しいですよ。一つの鍋を囲んでいろんな話をしたり、酒を酌み交わしたりする空間は、他に置き換えがたいものがあります。コロナ禍で失われたそういう機会をどう補っていくか、また新しい形で復活させていくかは非常に大きな問題。        
田 中
今すごく敏感ですね。何かちょっと問題があるとすぐ話題になる。
山 本
そうですね。一方で、ビュッフェスタイルのお店ではちょっと前まではビニールシートが張られていて、ビニール手袋を両手に付けて料理を取っていましたが、最近それはなくなってきた。
田 中
そういえば、出張のときのホテルの朝ごはん、ビュッフェスタイルでも最近はビニール手袋を置いていないですね。
山 本
利用者も気を使うようになったんでしょうね。以前は子供が触ったり、平気でくしゃみしたりする人がいたけど、少なくなってきました。
田 中
なるほどね。その辺、エチケットなんですよね。
山 本
以前のクロストークで、コミュニティは、「コミュニオン」というキリスト教の「聖餐」という言葉と語源が同じで、それはみんなでワインやパンを分け合って食べることだという話をしました。コロナ禍以降のコミュニティづくりにおいては、共有空間の中にいかに食の機会を取り込んでいくのか、食による体験を取り戻していくのかが大きなテーマだと思うんですよね。
田 中
そうですね。
山 本
年々酒類出荷量が減少し「酒離れ」が進んでいるそうで、昔の地域のお祭りって無礼講でお酒飲んでというのがあったけど、それもどんどんできなくなっている。例えば、地域の祭りが育んでいたつながりをどのように補完していくのか…とか。他にも、地域と食にまつわるような問題はたくさんあると思うし、コロナ禍によって、それがより加速した気がするんですよ。
田 中
だから、人間同士がコミュニケーションを取るというところにおける食の大切さ、それはありますね。
山 本
大学でも学生たちと懇親を深めるためにお菓子をみんなで一緒に食べたりするじゃないですか。酒を飲むのは今もう絶対だめなんで、キャンパス内では。
田 中
あ、そうですか、桂のキャンパスはバーベキューしていいんですよ。確かに火を使うことに関して、厳しいキャンパスはあるんでしょうね。  
山 本
それは羨ましい! みんなでお菓子をつまむにしても、個包装のお菓子を一個ずつ配る。ポテトチップスの「パーティー開け」も死語になりつつあるのではと。
田 中
誰かが触ったやつがダメなんですね。
山 本
ああ、そうか、そういうふうになっちゃったんだなあっていう、すっごい変化がありますね。
田 中
そういう意味じゃ、みんなで鍋は難しいなあ。それでいいのかな? どうなんでしょうね。衛生面を考えたら、取り箸でやればいいんでしょうけど。 じゃあ、料理がいっぱい出てきてシェアするのもありえない?  
山 本
嫌がりますね。
田 中
コース料理はコース料理の良さがありますが、ちょっとかしこまった気がします。シェアするのはそれによってコミュニケーションも生まれるので好きです。  
山 本
シェアリングエコノミーという言葉が出てきて、もう十数年ですけれど、シェアもあんまりよろしくないみたいなことになってきたような気がします。直接的な接触や間接的な接触にみんな敏感になっていると思うんですよね。そういう状況で、分かち合ったり、共有したりする機会をつくるのは大きい課題なんですよね。
 

焚き火やまち歩きがコミュニティづくりになる

山 本
そういう視点でいくと、焚き火はすごくいいなと思います。京都市立芸術大学美術科の小山田徹先生は、小さな焚き火を使った場づくりをされていて、以前、ロームシアター京都の広場でも焚き火をされていました。        
田 中
それは、何が目的で?
山 本
彫刻専攻の先生なのですが、共有空間の開発をテーマに研究・実践されている方なんです。肩書きや役割を超えて共有の感覚を取り戻す社会実験として、いろんな場所で焚き火をされています。「焚き火」といっても小さな薪ストーブをいくつか並べ、そこにみんな集まって火にあたるのですが、少し離れた場所に「たまたま」出店している屋台があって、マシュマロやソーセージ、ビールを買って、焚き火で炙って食べたり飲んだりする。この「たまたま」というのがミソなのですが…。公共空間のルールに対して、いかに裏を取っていくかって感じですね。
田 中
ああ、そういう考え方、面白いですね。
山 本
昨年も参加したというグループは、お惣菜なんかを買ってきて炙っていました。みんなにも振舞ったりして。
田 中
それは面白いですね。近所の人、いろんな立場の違う方々が集まって自然にコミュニケーション取れるっていうのは。当然学生さんも参加して?
山 本
はい。前もって講習を受けると、火のお守りをするボランティアサポーターになれるのですが、学生さんも多かったですね。
田 中
なるほど、その方たちが責任をもって管理するということですね。
山 本
こういう機会がもっと増えるといいなあと思います。焼くというのは、調理の基本。その風景も面白いですしね。
田 中
その先生はその実験の結果の解析をされるわけですか? それは何か学問の一つなんですよね? ちょっと専門が違うから、どういうレポートが出てくるのか興味ありますね。
山 本
美術館やホワイトキューブのギャラリーで展示されるものもアートですが、最近は「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」という言葉が示すように、社会と関わりを持ち、何らかの変革をもたらす実践としてのアートも増えてきています。小山田先生が取り組まれている共有空間の開発もそのひとつだと思いますし、その手法が焚き火という非常にプリミティブなものであることが面白いと感じます。「なぜ焚き火なのか?」と伺ったことがあるのですが、どこでも誰でもできるからとおっしゃっていました。それも火を囲んで人が集まる。コミュニティの始まりも、たぶんそうだったのではないかと。共有空間を生み出す一つの手法として、僕はまち歩きも有効ではないかと捉えていて。ガイドがいて決められたコースを歩いて知識をインプットしていくというインプット型ではなく、勝手にみんなが歩いて見つけたものを共有する。そんなアウトプット型のまち歩きを研究しています。
田 中
あー、なるほど。  
山 本
まちで見つけた超珍しいものを「超珍(ちょうちん)」と名付け、写真に撮ってタイトルをつけて見せ合いっこするのですが、それぞれが「超珍」を見つけようと、普段は人の目が届かないようなところまで視線を行き届かせる。そうするとみんながまちを照らす「提灯」のような存在になるのでは…という。まさにダジャレなんですけど。
田 中
それは面白いですね。
山 本
やってみると、同じ時間に同じエリアを歩いていてもそれぞれが違うものを発見したりする。あるいは同じものを見ていても、解釈が違ったりする。そんな、その地域に隠れているいろんな新しい魅力、オルタナティブなものを発見するってことにもなるし、一人ひとりの視点をシェアして、受け入れることが、多様性の理解に繋がっていく。
田 中
そうですよね。実際は全然違いますもんね、人によって、目の付け所が。あ、そんな視点があったのかと思います。  
山 本
何より歩くことって手軽でお金がかからない。人生100年時代にいい遊びなんじゃないかなと思っています。焚き火やまち歩きのようなみんなでできる遊びをいかにつくっていくか。そこには絶対、食がついてくるだろうなと思うんですよね。
田 中
そういうコミュニティ、大事ですね。  
 

デザインとアート、その違いは?

田 中
僕、デザインとアートの区別がわからないんですよね。すごく難しくて、答えは一つではないと思うんですけれど。
山 本
僕自身は、「アートはクエスチョンで、人に問いを投げかけてくるようなもの」と考えています。「デザインはソリューション、課題解決していくもの」。でもデザインの中にもアートがあるし、アートの中にもデザインもあると思います。立場的なところだと思うんですよね。
田 中
ああ、それしっくりきます。例えばね、1970年の大阪万博、あの時、僕はちょうど小学校の3年生ぐらいかな。10回ぐらい行ったんですよ。
山 本
すごい!10回!
田 中
岡本太郎の太陽の塔はアート、デザイン、どっちなんですか?
山 本
アートだと思います。
田 中
やっぱりそうですね。
山 本
丹下健三のお祭り広場はデザインだと思う。
田 中
あー、なるほど。
山 本
デザインを突き抜けて太陽の塔が立ってるんだ!ということです。非常にわかりやすい!
田 中
そうですね、そうですよね。  
山 本
だからデザインだけじゃダメだって。調和ばっかりしていたってダメってことだと思います。
田 中
人類の進歩と調和が万博のテーマでしたが、岡本太郎はそれに対してのアンチテーゼみたいなところで創ったんですかね。当時は新進気鋭の芸術家がいっぱい、いろんなパビリオンを建てていた。今でもいろいろ覚えています。
山 本
2025年の大阪・関西万博がそうなるかどうか。
田 中
時代の変化がありますからね。日本は当時、上を向いていました。東京オリンピックがあって、その後に大阪万博。元気だからできたけど、今はその流れが残念ながらないからね。この状況で、やる価値があるのか?というのはありますね。  
山 本
さっきのリビングラボのように市民参加でつくっていくことが主流になりつつある今では、国家的なプロジェクトはちょっと時代遅れになってきている気がしますね。トップダウンでやって市民の声は後というような形は、ちょっと時代と逆行しているのかもしれない。
田 中
地域ごとに小さいコミュニティからでもいいから、受け身じゃなくて積極的に、いろんな人が参画して、何かつくり上げていく。それでしょうね。  
山 本
消費者としてだけじゃなくて、つくり手として参加する。「インクルーシブデザイン」という言葉があるんですけれども、デザイナーだけではなく、使い手も一緒になって考え、手を動かしてデザインするという考え方がどんどん広がってきていると思うんですよね。今、その過渡期かなという気はします。
田 中
企業も、おそらくそういうところはあるんでしょうね。例えば車のデザイン一つとっても、市場調査や消費者のニーズを組み込まないと売れないわけで。車だけじゃないです、いろいろなものがそうです。もちろん機能が大事だから、設計も大事ですけれども、それ以外のところで、なんかこれいいなと感じるかどうか。そこなんでしょうね。それは、家内の言っていた行動経済学になるのかな?と思ってるんですけど。  
山 本
マーケティングの考え方自体も変わってきていると思うんですよね。市場調査をして対象としてみるというよりも、その中に入り込む、みんなでつくっていくという形になりつつあるのかなと思いますね。その方が消費者にとっても楽しいですね。公共建築にしても、急にある日「変な建物ができた!」よりも、それをつくる過程を近くに住んでいる人もあーだこーだ言って、「あれは俺がこう言ったからできたんだよ」なんてことをみんなが言い合えるような場所になるといい。その方が、本当の意味での共有空間になると思います。
田 中
実際、構造物として成り立つかどうかを考えていく際には力学的な考察が必要になる。使用する材質も考えなくちゃいけない。もちろん、アートやデザインの観点も重要。異なる視点を持つ人たちが互いに調和しながら考えていくというのが大事ですね。そういう意味で芸術と科学は融合しないといけないですよね、一見分野が違うように見えるけど。  
山 本
そうです。いかにクロスオーバーしながらデザインしていくか。
 

自分から学びにいくという姿勢を持ち続ける

田 中
京都工芸繊維大学で非常勤講師として材料工学という講義を担当しています。化学や物理ではなくデザインや建築が専門の学生に教えています。でも、材料って物質からできているわけで、化学や物理の対象です。彼らにどういう教え方をしたらいいのか、いつも悩みながら授業を行っています。
山 本
僕も非常に近い悩みがあって。勤めている大学は文系の大学で、その中に空間デザイン領域というのがあるんです。工学部ではないんですが、構造や環境工学も教えないといけない。どう教えるのかという問題がありますね。教える側も、相手のことを知る必要があるのが今の時代なのかな。
田 中
そうですね。
山 本
おっしゃっていること、すこくよくわかります。同じ内容でも、相手に合わせて伝える順序を変えてみたり、持っているもの全部ではなく必要に応じてセレクトして伝えたり。そういうことが必要になる。
田 中
彼らが何を求めているかってところがね。僕は、どちらかというと化学や物理の基礎から厳密にやりたいんですよ。でも、そこまで求めているのかな?と思ったりもする。思いながらも、しっかり教えるんですけどね。 いろんな物質や材料があって、どうアプリケーションを考えるかってなったときに、基礎の知識って大事。家を造るにしても、どんな材質のものを使うか?窓ガラスはどうなんだ?窓ガラスはなぜこんなに大きいものができるのか?また、なぜ透明なのか?そもそもガラスってどういうプロセスで生じるのか。液体がガラスや結晶のような固体に変わるのはどういうメカニズムか、とかね。学生たちは、何を話してるんだ?と思うかもしれないけど、やっぱりそういうところから講義しちゃいます。どこに興味があるかは分野によって違うだろうけど、物質がこんな性質を持っているからこんな材料ができる、それが世の中の役に立っているという言い方をしたいんですよ。ただ、ちょっと工夫をしないといけないかなとは思いますけどね。
山 本
わかります。基礎的なところはやっぱり学ばないと、さらに高みには行けないので。ただ、基礎的な学びって先がなかなか見えづらくて、学ぶ方からすると興味を持ちづらい。自分の経験からすると歴史はそれなんです。学校で学んだ歴史って、非常に退屈で面白くなかった。でも、奈良に暮らすようになって、平城宮跡に行ったり、寺院を巡ったりすると、「あの時、もっと勉強しておけば」と思うんですよね。でも、興味を持てば、勝手に学ぶんですよね、もっと知りたくなって。不真面目ながらも暗記した学生時代の微かな記憶がちょっと生きる場面もあって、やっぱり基礎的なところは必要だと実感します。
田 中
そうですね。若い時に専門書などを読んで勉強しても、ちょっとそこから離れちゃうと、数学なんかだと公式忘れています。でも、あの本に書いていたよなと思い出して、それを引き出して参考にできる。そういうことはありますね。
山 本
リファレンスできるだけの手がかりとなる知識があればね。
田 中
そうなんですよね。わからないことが出てきた時に、これはどうしたらいいの?って、あれが参考になるな、とできるのが理想ですね。その先に進めなくなっちゃうのがいちばんまずい。
山 本
調べていく上で、手がかりになる言葉がいくつあるかで導かれる先って絶対変わってきますよね。
田 中
僕も、高校のとき、歴史が苦手で全然勉強しなくて、だめだったんです。でも、奈良の飛鳥とか行くと、やっぱりいいんですよね。すごくロマンがあります。日本史では、特に江戸の末期から明治のはじめごろは面白いと感じています。長州の吉田松陰など、明治維新を導いた側の人間に惹かれるんですよ。松下村塾も何度か行ってます。この前も、京都の護国神社(京都霊山護國神社)に行きました。久坂玄瑞や高杉晋作のお墓があります。今、歴史資料館に行ったりインターネットで情報を得たりすると、当時の彼らの熱量をすごく感じます。歴史っていろんなストーリーがあって、その中で自分の興味と合致することがあれば、いくらでも自ら勉強します。そんなことを思いましたね。
山 本
自ら勉強する主体性をどう育てるか、それがすごく大事ですね。人生100年時代とセットで言われる「学び直し=リスキリング」という言葉がありますが、歳を重ねるほどにいろんなことが見えてきて、自ら学びたいという気持ちが芽生える。それを若い世代からどう育てていくのか?…なんて偉そうなことを言ってるんですけど、自分は大学生活で真剣に学んだかっていうとそうでもないな、なんて思いながら、学生を見て、「まあ、しょうがないか」と思ったりして…。一方で、でも大丈夫かな?と心配になります。
田 中
興味を見つけてほしい。それはありますね。社会人になってその道に進むかどうか、それはわかりませんが。研究のやり方や学び方は、自ら考えて身につけてほしい。
山 本
楽しんで学んでいくということですよね。
田 中
そういえば、小さいとき自由研究が好きだったんですよ。年表を作ったり、貝殻を集めたり、卵の殻をステンドグラスみたいに貼り付けてなにか作品を作ろうとしたり。うまくできなかったですけどね。今思い出しました、あれは楽しかったし、自分なりに工夫もしましたね。  
山 本
自由研究って大事ですよね。
田 中
そうですね。ずっと上から教えられるだけでは楽しくない。こういうことをやりたい、わかりたいと思うなら、こっちの分野も勉強しておこうってことありますから。それを踏まえた上で、自分のやりたいことに向かえば、楽しんでやれるはず。それは座学ばっかりじゃないですよ。
山 本
フィールドワーク的なことは絶対必要だと思います。そこから何を見つけるか、楽しいことをいかに見つけるか。そこが人間として大事ですよ、やっぱり。
田 中
そうですよね。たとえば、うちの大学でも情報学科の人気が高いんですけど、高校生が情報学って何をイメージしてんのかな?
山 本
うーん、なんとなく選んでいるのかなぁ?という気がしますね。学生に「なぜこの領域を選んだの?」と聞くと「消去法」という答えが返ってきて、暗い気持ちになったことがあります。
田 中
学生が?そうですか。この領域選んだのが消去法、それはちょっと残念。そんな選び方の学生が増えてきたら…。
山 本
彼らには絶対的な理由がない。動機がないんですよね。かわいそうな感じもします。もしかするとそれは原体験がないというか、遊んだ記憶があんまりないのかなと。遊びの中からいろいろ見つけるじゃないですか。自由研究も遊びといえます。
田 中
そうですね。高校や高等専門学校の授業について話を聞く機会があるのですが、高専では自分で考えるような講義ができそうだなと。高校ではちょっと無理かなと思いますが。大学でも1年生のような若い時に、そういう機会があればいいなと思うんですよ。
山 本
自分で考えてプレゼンして、みんなでディスカッションというふうな形はできますね。最近の学生はプレゼン上手です。でも、結局みんな言っていることは似通っていて大差ないなぁという印象。もっと子供の頃から遊んで探求しないと。小さい頃って、親や先生から食べもので遊んではいけませんって怒られたでしょう。でも食べもので遊ぶみたいなことを考えてもいいんじゃないかな? もちろん、最後はきちんと食べるという前提で。
田 中
確かに、食べものを遊び道具にしちゃダメと言われそうだけど。
山 本
原体験をもっと豊かにしていくということで考えると、食べものって一番身近にある遊び道具なのかもしれない。“遊んで食べる”がセットになっていたらいいなと思いますね。
 

“2050年を長寿ハッピーに”それが2050みらいごはんのビジョン

田 中
実験のデータにはね、美しいデータってあるんですよ。同じような実験をしてもこのデータは美しいなと思うものに出会うことと、そうでないことがある。ぱっと見て「美しい!」と感じます。何がどう美しいのか、説明が難しいんだけど…。ただ、めったに出会えませんが。僕の経験では美しいデータを出してきたのは2人。2人とも今大学の教員です。
山 本
美しいデータを出せる人と出せない人の違いってなんなんでしょう?
田 中
どこまで自分で考えてやっているかだろうなと僕は思います。もちろん手先の器用さみたいなスキルもあるでしょうけど、それって慣れだと思うんですよね。条件をきちんと設定して実験すれば、再現性のあるデータは絶対出てくるはずなんです。それができないってことは、どこか条件が違うんですよ。でも、それに気がついてないというわけです。そういうことを自分で考えているかどうかってこと。化学反応の実験では、たとえば温度を一定にして実験を行いますけど、実験装置が違うとその中の温度分布が違ったりする。そういう状況も丁寧に考える必要があります。そのあたりのことをどこまで自分で考えて、対応できているかが、出てくるデータの差になるんじゃないのかなと思いますね。
山 本
自分の領域でいうと、それはCADですね。CADはどんどん発達していて、例えばドアや窓などはパーツのデータが予め準備されているんです。壁は壁でいろんなテクスチャーが用意されている。それを組み合わせると、それなりのものができるんですよ。でも面白くないですね。それこそ美しくない。もっと自由に発想してみようってことで、紙を切って、思うような形でスタディ模型(検討用の模型)をつくらせるんです。で、それを図面化していこう、とCADを使うと、全然できないですね。「先生、これパーツの中にありません」と言ってくる。
田 中
どういうわけですか?
山 本
組み合わせでしか、つくれなくなっているんです。要するに、自分で考えていない。CADが一般でも広く使われ始めたのは、自分が学生だった頃。当時は、ドアのテクスチャーも自分でつくっていました。自分で型をつくって、それをペーストするというやり方で、変形させたりもしていました。とにかく面倒な作業でしたね。でも、それって、昔の「お百姓さん」がやっていたことと一緒だなと気づいたんです。「百の仕事」といって、農作業するための道具も自分でつくる。何かをつくるにあたって道具までつくっていくんですよ。ところが、現代は、お金払って誰かに任しちゃう社会になっています。そうすることによって、美しいものができなくなってきている。自由度がどんどん狭まってきているような気がするんですよね。それをちょっと思い出しました。
田 中
我々の実験でもそうです。装置がどんどん便利になってきて、原理がわからないままにデータ出しちゃうんですよ。だから、小数点以下第何位まで数値を出すんだ?そこまで出す意味あるのってコメントしなければならない学生もいて…。びっくりします。便利になってきていることはいいと思う反面、教育的には良くない面もあると思う。データ解析する場合でも、ソフトが便利になってきて、実験値をインプットすれば知りたい情報がさっと出ますが、なぜ、解析にその式を使うかを考えずにやるので、たまに変な結果が出てくる。自分で考えるっていうところがないとね、機械に負けているなって。
山 本
機械に負けるところは仕方がないと思うんですよ。ただ、人間よりも優れた能力を持っている機械をどう使うのか?どういうビジョンを思い描いて、実現するために、それをどう使うのか。人間がこれからもっと力を入れてやっていくべきは、そこだと思うんですよね。
田 中
食に話を戻すと、調理器具なども同じことがいえるのかもしれません。僕は、2050年、多分、生きてないと思っているけど、でもおそらく今以上に機械やAIが発達した2050年がどうなっているのか、やっぱり楽しみですね。
山 本
浩子先生は生前、「長寿リスクをなくして、長寿ハッピーにしていこう」とおっしゃっていました。長寿リスクを解消するのは、やっぱり仕組みづくりかなと。長寿ハッピーは人によっていろいろじゃないですか。それを2050みらいごはんのビジョンとして言語化していく必要があります。 続けていくためにちゃんと続けられるベースをつくらなくては。
田 中
そうですね。そこを構築しましょう。今日、山本先生と話して、ビジョンが見えてきました。ありがとうございます。また対談したいですね。