MESSAGE01
田中 勝久
京都大学大学院工学研究科教授
専門:固体化学、無機化学
私の家内 田中浩子は、2021年9月14日午前0時17分、永眠しました。56歳でした。
家内が難病を患って体調を崩し、7月半ばに入院してから最期を迎えるまでの経緯は、家内の新刊である『食サービス産業の工業化-外食・中食産業を中心に(晃洋書房 2022年9月14日発行)』の「あとがき」にやや詳しく書かせていただきました。ここでは、そこに書ききれなかった私の思いをまず、述べさせていただきます。今でも、家内と交わした最後の言葉、そのときの家内の姿、私をじっと見つめた家内の目、決して忘れることはありません。
家内が病院で息を引き取ったとき、お通夜とお葬式のとき、そして火葬場でのお骨上げのとき、私は一粒たりとも涙が出ませんでした。悲しくないはずがないのに涙が出ない。家内を失くしたあと、あまりにも辛かった私はインターネットで、大切な人を失った方の体験談、心療内科の先生やカウンセラーの方が書いておられる、大切な人を失くしたときに現れる一般的な肉体的・精神的状態とその時間にともなう変化の記事などを読み漁り、自らの心境に当てはめていました。それで分かったことは、あまりにも大きなショックを受けたとき、人は完全に心を閉ざしてしまい、現実を受け入れることをしない、よって、大切な人を失った直後、その大きな衝撃に涙すら出ない状況になるという事実でした。当時の私はまさにその状態でした。お通夜とお葬式でお経を唱えていただいている間、何度も家内の遺影を眺めては、今、この目の前でいったい何が起こっているのだろうか、まったく理解できない、僕は夢でも見ているのか、そんな心境でした。そして、それは最愛の人を失った人間が感じるごく自然の感情であったわけです。
2021年10月から12月ごろにかけては、家内を失ったことが実感として私の心に現れ、家内のいない寂しさ、悲しさ、何とかできなかったものかという後悔、今までに感じたこともない不条理、その不条理を思うがゆえに頭をもたげる持って行き場のない怒り、あらゆる負の感情が襲ってきて、辛い、苦しい毎日でした。特に、週末、クリスマス、年末年始などの世間の和やかな雰囲気を目の当たりにしたときには、自分一人が取り残されたような何とも情けない気分になり、自分と世間の間に厚い壁があるような感覚でした。
一方で、家内は大学で食を学び、大学院で経営を学び、最終的に博士号も得て、食と経営学を融合した新領域の開拓に携わってきたわけですが、まだこれからやろうとしていたことが叶わなくなった、このことを思うと、このまま落ち込んでいるわけにはいかない、家内のために家内を象徴するようなものを形として残し、家内が考えていたであろう概念を引き継いでいこう、たとえば家内が提唱した「静かな食育」も実践しなくては、こういった気持ちが強く湧いてきました。
辛い日々を送りながらも私が幸せだったと感じられるのは、私と気持ちを共有してくださり、私と同じ考えで活動してくださった方々が少なからず-それどころか、私の予想をはるかに超えた、たくさんの皆様が-おられたという事実、皆様が私のわがままにも近い希望を聞き入れてくださり、ご尽力をいただいたという事実です。2021年11月24日から12月8日まで、立命館大学の家内の教授室を一般の方に開放していただきました。このときご訪問いただいた多くの皆様からの温かいお言葉をまとめたメッセージ集も作成していただきました。同時期には家内が社外取締役としてお世話になった株式会社 平和堂から回想録を頂戴しました。12月12日、京都のウェスティン都ホテル京都で田中浩子を語る会を開催していただき、オンラインを含め100名を超える皆様にご参加いただきました。時を同じくして『田中浩子の2050みらいごはんクロストーク』を発行していただきました。2022年に入り、6月末には家内が立命館大学の教授室に所蔵していた書物をコモンラウンジに書棚を設けて整理していただき、食マネジメント学部の学生さんが自由に閲覧できる状態にしていただきました。私はこの空間を「田中浩子文庫」と名付けました。これからも家内に関する書籍を追加する予定です。
また、上でもふれましたが、9月14日に家内の新刊が発行されました。9月19日には家内の母校である同志社女子大学出身の管理栄養士の有志の皆様の集まりであるdd-netが家内を語る会を開催してくださり、本ネットワークの新たな始動に向けてのご提案もいただきました。さらに、家内が社外取締役として長年お世話になったマルシェ株式会社が和歌山県の高野山に設けられた「先人の碑」に家内の氏名が刻まれ、10月1日に慰霊祭が執り行われました。11月にはやはり社外取締役であったフクシマガリレイ株式会社において家内が社友に選出されました。以上のようなイベントに加え、多くの皆様から温かいメッセージを頂戴し、また、多くの皆様が京都、大阪の家内と私の自宅にお越しになりました。
そして、家内が立ち上げたプロジェクトの一つである「2050みらいごはん」が再び動き始めます。本プロジェクトに対してご賛同とお力添えをいただいた皆様に心より感謝申し上げます。もう、まっすぐ前を向いて、希望と勇気と叡智をもって進んでいくのみです。家内がつないでくれた素晴らしい皆様とともに、そして、田中浩子のために。
MESSAGE02
いつも「2050みらいごはん」サイトをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。サイトはしばらく休眠しておりましたが、いよいよ活動開始致します。
昨年9月に田中浩子さんが逝去され、私の中で「みらい」が消えてしまったような時期もありました。元気・パワー全開であった田中浩子さんがふっといなくなってしまったことを現実として受け入れ難いものがあります。今もどこか長期出張にでも出かけているのではないか、ふと新たなアイデアを持って帰ってくるのではないかと思うこともあります。
管理栄養士である田中浩子さんとは様々な角度から食に関わり、その都度語り合ってきました。時には「管理栄養士」のダメ出しをしながら、もっとできることはないのか、私たちに欠けている視点はないのかを追い求めてきました。
その過程で田中浩子さんはマーケティングを学ぶことで視野を広げ、様々な視点から食を捉えるようになり、食とマーケティング、身近な「食」をマネジメントすることの必要性とその楽しさを突き詰めておられました。そして共に気づいたことは「食べてもらわなければ始まらない」ということ。健康のために栄養管理された食事であっても食べたいと思わなければ「食」は実現できないということです。田中浩子さんが提唱した考え方に「静かな食育」があります。
静かな食育とは、食べてみたい、買ってみたいと思える仕組みづくりで環境を作り出し、食環境を整えることが自然と食事の栄養バランスもよくなり、食卓を豊かにすることにつながるという考え方。
田中浩子さんは、その考えが個々の幸せにつながることも確信しておられ、2050年の社会を想定し、食生活・健康を主軸としたソーシャルイノベーションを創出するグランドデザインを個から公共の視点までを描いておられました。
私が考える2050年の食生活は、「静かな食育」を基盤とする田中浩子メソッド・レガシーを受け継ぎながら、プロエイジングをめざす食生活のあり方を提案、実現することにあると考えています。人生100年時代を迎え、健康寿命を延ばすことが注視されていますが、私がめざす2050の食生活の柱には「オプティマルヘルス」と伊藤裕先生が提唱されている「幸福寿命」という考え方があります。オプティマルヘルスとは、簡潔に言えば「その年齢に応じて生き生きと健康に生きること」。
年齢・文化・生活環境など自身が置かれた状況の中で、一人一人が適切な生き方や習慣を選んで最善な健康を実現してゆく状態・過程のことをいいます。
「幸福寿命」とは、「幸せを感じていられる期間」のこと。健康であっても幸せではないと感じておられる方は多く、一方で百寿者の方では「幸せ」を感じておられる方が多いと言われています。長生きであっても、健康であっても、幸せを感じられず生きるよりも「幸せ」をたくさん感じながら豊かに生きることが大切だと思いますし、その根底に「食」があり、これからの食生活のあり方、新しい食生活デザインにつながると考えています。
食が豊であれば、生活も豊かに、そして人生がよりハッピーになる。そんな世界を実現するため、私たちみらいごはんメンバーはそれぞれの切り口から未来の食卓・食生活を創造し、提案してゆきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
MESSAGE03
『みらいごはん』
魅力的なこのタイトルを田中浩子(以降、浩子さん)さんから聞いたのは、2019年のことでした。
折りしも令和の時代が幕を開け、翌年には2020東京オリンピック開催が控えているという時勢。
多くの人が多様な視点とさまざまな温度で、これから生きることになる『未来』を意識に上らせ始めたころでした。
本サイトのアーカイブに、浩子さん、そして本プロジェクトの副代表である小椋真理さん、私との鼎談が掲載されています。
そちらをご覧いただくとお分かりになると思いますが、浩子さんとは同じ大学の先輩後輩の間柄でした。
以降、浩子さんとのご縁が続いたことは私の人生の中で代え難い幸運であった訳ですが、数多ある浩子さんの魅力の中でとりわけ輝くのは、おそらく浩子さんが圧倒的な『未来志向』の持ち主であったからに違いないと推測します。
考えてみると、人は過去を振り返るときは足元に目を落とし、よく見えない未来を見ようとするときは、時には背伸びをしながら顔を上げます。
問題の大小、未来までの距離を問わず、『理想の形にするにはどうしたら良い?』と浩子さんが投げかける言葉にはいつも顔を上げるためのヒントに溢れていました。そして浩子さん自身が力強く踏み出す未来を拓く姿に、誰もが魅了されました。
『2050みらいごはん』は、食と経済を基軸とする浩子さんの、まさに満を持しての未来プロジェクトのスタートでした。
2050年をどんな暮らし方で迎えているのか。予測にとどまらず、いまの暮らしをどのように改善したら望む未来が実現するのかを、さまざまな人のそれぞれの立場から得た知見と実践知を共有し、共に新たな歩みを始めるためのプラットフォームが、この『2050みらいごはん』であったと、私は理解しています。
2020年初頭から始まった新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、未来予測をひどく困難にさせました。誰もが経験したことのない現実に直面し、まるで靄の中を光を探しながら歩いてきたように思います。
その靄の中でも浩子さんは、あくまで未来志向だったことを思い返します。
パンデミックが収束した後の『過去の延長線上ではない世界』を、あの大きな瞳で見据えていたように思います。
2021年9月に浩子さんが突然の病で急逝され、まさに光と未来を失ってから1年が過ぎました。
このたび、『みらいごはん』が新たにスタートするに当たり、当初からの『2050みらいごはん』プロデューサーである坂口みどりさんが、浩子さんが構想していた『みらいごはん』のグランドデザインを示して下さいました。
そこには
「一番欲しいのは、平和な世界、幸せな豊かな生活を維持すること」「『長寿はリスク』を再度『長寿はhappy』に戻す」「2050年の食生活を支えるしくみを考えていきたい」といった、浩子さんの未来構想が文字となって並んでいました。
「望む未来は自分たちで作ればよい」という浩子さんの言葉の通り、豊かな食を通した幸せな暮らしを目指して繋がり合う場が、新生「2050みらいごはん」であると思います。
専門家、実践家に限らず、食の当事者である、全ての方が心地よく集う場になることを信じて、この再スタートを皆さんとともに迎えたいと思います。